昨日の関東には、大浄化の大雨が降りました。
その時、ちょうど怒りがマックスの出来事があり、冷静になるまでしばらくその場所を動けずにおり、外に空から地上に叩きつける滝のように降る雨を眺めながら自分を鎮静化しておりました。
隣には、偶然ご一緒してくださった新人ボランティアの男性がいらっしゃり、その優しくも正しく手厳しい助言を受けながら、怒りを分析しておりました。
私は人生の中でほとんど人前で感情を出すことがなく、怒りを表すこともありません。
しかし、いろいろなところで私を怒らせようと煽ってくる人達が多くおります。
今回も私を怒らせよう、怒らせようと煽ってくる人々のことを思い浮かべながら、人生のパターンを振り返っておりました。
人生には、同じようなパターンがあることに、ずっと以前から気が付いておりました。
同じような容貌、年齢の人が目の前に現れ、同じような言動を繰り返し、こちらの感情を逆なでするようにして試して参ります。
それは同じ種類のルシファーが人を変え、時間を変え、環境状況を変えながら、同じような手口で、こちらの魂の思い癖を試し、それを克服できるかどうかテストをしてくれているのだな、と分かりました。
しかし、そのルシファーを受け入れる人も試されているのだと思います。
その人がそのルシファーを受け入れる要素があるから、引き寄せて受け入れてしまい、人を深く傷つけ自分自身の魂レベルも堕とし、そこからどうやって立ち上げるのかも試されているのだと思います。(立ち上がれない人が多い気がしますが・・・)
私を試すルシファーのパターンでは、いつも妙齢の女性が関わります。
容貌も年齢も似たような感じであります。30代から50代くらいの女性。長所は、真面目で正義感が強い。短所?は、他人に厳しく常に皮肉にあふれた言葉で批判する、筋肉質の固太り、下半身太りの方が多い、肌が朝黒く、肌荒れが酷い・・・
スピリチュアルな勉強を始めた頃、前世療法で自己催眠の中、過去世の「吉原遊郭時代、雇われ女将であった私が多くの女性達のマネージャーをしている中で、私が無意識に傷つけてしまった女郎さん達が、復讐のために、現世では私の目の前に現れて私にその時の辛さ憎しみをぶつけにきている・・・」ということを知り、お詫びいたしております。
昨日はいつもの通り、ネコさまのお供え時間に瞑想をしながら振り返っておりました。
幼少期から振り返り、
まず母の妹、私から見て、叔母にルシファーが入り、幼少期の私を今でいう虐待に近いことをさせました。
私が叔母の夫に気に入られていたのが気に食わなかったのか、母や他の人が見ていないところで、私に悪態をつき、暑い日に長時間連れまわしたり、食べられないものを食べさせようと長時間食卓に座らせたりと、私が大人しく何も言わないことを良いことに、やりたい放題のことをされておりました。
それから私が教職に就くと、職場から近くであったのを良いことに無理矢理、家に居候をさせ、娘や息子の勉強を見させ、私の時間を支配しようとしました。そして、帰宅したくなく、学校に居残っている私のことを、母に告げ口、陰口を繰り返し、母を傷つけておりました。ようやく叔母からの呪縛が解けたのは、その3年後でした。
叔母からの支配に耐えられなくなり、完全に手放した後は、こちらから絶縁をさせてもらいました。
叔母はその罪のせいか、その後、夫に不倫をされて裏切られて別居を強いられ、娘や息子からも絶縁状を突き付けられることとなり、その後、腰の痛みで長年ほとんど寝たきり生活を強いられることとなっております。
小学校4年から6年まで、20代後半の女性の教師。
まったく教科担当でも、担任でもないのに、目立たないように静かに密かに過ごしていた大人しい私をなぜか目の敵にし、少しでも見掛けると、遠くからでも大声で私を𠮟りつけ、大声で罵倒し続けられました。私への虐待がピークに達したのは、全児童が集合したある講堂での出来事でした。
児童達が猿のように喚きふざけている姿を、私がいつものようにぼんやり眺めて、うるさいな、と思っていると、突然、その女性教師が現れ、私のところにつかつかと怒り狂った猪のように近づき、突然私を平手打ちをして参りました。力の限り殴り飛ばされた私は、床に叩きつけられるまでの瞬時にまぶたの中に映ったその女性のにきびだらけの肌に厚塗りをしている化粧と赤い口紅の大きな口の中の形の悪い大きな歯並びの歯が醜くゆがみ
「お前が全部悪いんだ!全部お前のせいなんだ!」
と大声で叫んでいるのが見て取れました。
その衝撃的事件を目撃していた全児童がシンとなり、「え?どうしたの?先生。あの子何もしゃべってなかったけど・・・あの子あの先生に嫌われているんだね・・」というひそひそ声が聞こえておりました。
その後、これまでも、一年生の時の女性の担任から受ける暴言により、言葉を発することができない症状がでていた私はますます言葉がでなくなる失語症を発症することとなりました。
その女性教師のその後は、私が高校生くらいになった頃、うわさ好き、情報通の母からの情報では、私の小学校時代から校長と不倫関係にあったことが、県の教育委員会に知られてしまい、校長ともども職を追われてどこかに行ってしまった、とのことでした。
私は母にはいっさいその女性教師のことを話していなかったにもかかわらず、母は、「悪いことをしていると天罰がくだされるんだね」とぽつりと漏らしたのが印象的でした。
その後も、中学生の時も同級生の女性から嫌がらせを受けるようになりましたが、その女子生徒はすぐに慢性大腸炎のような状態になり、教室で座っていられず、トイレに駆け込む状態になっておりました。
高校生の時もやはり似たような嫌がらせがありましたが、その女子も慢性肺炎のような状態になっていたのを後に知ることとなりました。
教職に就いた時も、30代後半の女性からは、まるでテレビドラマのような分かり易い、たとえば朝、私が出勤すると皆に聞こえるような大声で、こちらを見ずに横を見て「ねえねえ、あの服見た?赤いの着てるよ!みっともないわね~」というような服装や見たものを批判するしつこい嫌がらせを受けるようになり、これには私もほとほと参り、鬱症状のようになって理解のあった副校長に相談をすると、「あなたは何をやっても目立ちすぎるから仕方がない」とアドバイスにもなにもなっていない答えを受け、仕方がなく何も反論せず、静かに耐え続ける日々でした。
その一年にも満たない頃、その女性は3人目の子どもを妊娠したくらいから体調不良になり、出勤日数が減り、私が辞職した数年後には、学年担当から大いに嫌がらせを受けて、退職に追いやられらとのことでした。
その後も、セラピストになってからも、最初の頃は難しいクライアントさまからの攻撃があり、現在、静かになってきたか、と油断していた時に、現在のネコボランティア活動で、数人のやはり女性達からの嫌がらせや攻撃を受けるようになってしまいました。
昨日もある女性は、私に対して憤懣耐えられないとばかりに
「あなたのせいで皆が迷惑している、こちらがあなたの協力をしているのに、あなたのやり方が酷すぎてクレームばかりが来る」と全身を怒りで震わせ、手のこぶしを握り締め、わなわな震えている姿を見て、私は反対に冷静になり心が冷たくなっておりました。
しかし、あまりにも理不尽なことばかりを連射してきたために、私は生まれて初めて、小さく反論することとなりました。
すると、その女性も怒りの炎に油を注がれたように、大声で意味の分からないことを私に連射して参りました。
私は言葉の意味を分析するのも面倒になり、頭を下げて「それでは失礼を致します」と退散して参りました。
その後、ボランティアの男性は「真っ向から組んではいけない相手ですよ。うまくごまかして穏やかにできないのですか?あなたは言葉が足りなく損をするタイプですね。せっかくものすごく良いことをしているのに、伝わらなくてもったいないですね」と優しく諭されました。
私は少しだけ反論し、「これまでは黙ってやり過ごして参りましたが、今日のあの方の言葉はあまりにもひどすぎたので、ちょっとだけやり返しただけです」
と話すと静かに笑われ、私もまた平静な状態に戻って参りました。
その時、窓の外は滝のような土砂降りの雨が降りやまず、帰ってみると開いていた窓の近くにはみずたまりができており、おかげで大掃除ができました。
今年は「終焉の年」です。
いろいろなことが起きては終わって参ります。

ちいちゃんの目撃情報が少しだけ入りました